中野章三コラム

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特別寄稿「キネマ旬報」

 

6月23日の朝、福岡に発つ前に家で新聞を開いたとたん、自分の身体の中の何かがひとつ消えた、そんなショックを受けた。
 前夜ビデオで「ブロードウェイのバ−クリー家」を見ながら、アステア氏の映画を初めて見たのは、
40年前の「踊る結婚式」だったと感慨にふけったばかりだった。

 

 本当にこの映画を見ていなければ、兄も私もタップダンサーにはなっていなかったのではないか。また、アステアのタップを見て、
世の中にこんな素晴らしく楽しい事が有るのかと兄と二人で泣けてくるほど嬉しくなり、映画館を出られず1回目から最終回まで6回見てしまい、
自分たちの演る事はこれしかない、と二人で話し合った事など。
踊る事の楽しさ、素晴らしさを教えてくれたタップダンスの神様は、本当の神様になってしまった。

 

 アステアとの出逢いは「踊る結婚式」。
 そして1949年の「イースター・パレード」。3度目は53年、東京に出てきて12月に見た「バンド・ワゴン」。
世界中のどのダンサーにもアステアの持つ上品さは出せないと思う。
 自分が練習している時、アステアのつもりになってエレガントに踊っていても、鏡に写った似ても似つかない姿にガッカリ。

 

 ジーン・ケリーやドナルド・オコナーなど、いろいろなダンサーの映画を見てはステップをコピーし踊るが、
アステアスタイルに1番憧れて踊っても何ひとつ同じ様には出来なかった。アステアの映画や他のミュージカル映画は絶対に見逃さないほど見ており、
「ブルースカイ」「土曜は貴方に」「恋愛準決勝戦」「足ながおじさん」「パリの恋人」など同じ作品を何度も見て歩いた。
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 4度目はスクリーンではなく生のアステアに逢う事ができ、夢ではないかと思った。57年「パリの恋人」を見た直後、
淀川先生に頼んで映画世界社で逢わせてもらった。前の晩、プレゼントに買った扇を持ってアクシュをしている気の早い夢を見、
それが現実になり、自分では何を話したか全然覚えていない。ただプレゼントを渡し、
一緒に写真を撮ってもらい(アクシュをして)足がガタガタ震え、地に着かなかった事だけ覚えている。

 

 淀川先生がいろいろとお聞きになり、「『パリの恋人』の中で、オードリー・ヘップバーンとダンスを踊るシーンがありましたね。
川に浮いているイカダに乗ると動き出し、向こう岸に流れ着くといった、あの板はどうなっているのですか」と質問した。
アステアは「川の底に線路を敷いて車のついたイカダを作り、二人が乗って足に力を入れて押すと動き出す仕掛けだ。」

 

 また、「ラストのイカダが川に沿って流れて行くシーン。これは違う線路を置いてやった。このアイデアは自分で考えたよ。
必ず新しい映画には新しいアイデアを考え、同じ事は絶対に使わないようにしている」と答えてくれた。その時のアステアは、若々しい青年の様だった。

 

 5度目は80年の8月、ロスアンゼルスの知人の御夫妻がアステアと大変親しく、会わせてあげると言われ、
自分たちで作ったLPレコードを持って喜びいさんでアメリカに言った。だが、アステアのお姉さんが急病で、ダラスの方に出かけていて会えず、
レコードをことづけて帰って来た。これほど残念な事はなかったが、後に「レコードをとても楽しく聞きました。」と自筆のお手紙をもらい、
飛び上がらんばかりに驚き喜んだ。また、35周年のリサイタルの時には「おめでとう」のメッセージまでもらい、これは私達の宝物になっている。
 同じダンスを踊っていて良かった。その幸福を感じる。

 

 ダンスの楽しさ、素晴らしさを教え与えてくれたタップダンスの神様!日本で踊っている小さな二人ですが天国から見守って下さい。
我がフレッド・アステア。貴方のダンスは永遠に残るでしょう。素晴らしい出逢いをありがとう!

フレッド・アステア氏と握手する章三
(1957年)



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