中野章三コラム

4.初めての映画出演とタップダンス披露

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 歌と踊りのショウをやろうということで、初めに来てくれたのは、残念ながらタップではなく、その頃流行ったブギウギやルンバの振り付けの先生でした。
 12月の子雀劇団の初公演には、40分位のショウをこどもばかり8人でやりました。
 私は女の子と踊ったかと思うとすぐ次は兄とルンバ”夜来香”を、次は日舞をソロで、と大忙し。大人の音楽ばかりではいけない、と童謡も入れてバラエティに富んだショウでした。
 京都の京極にあった花月劇場で10日間「煙草と悪魔」という教育劇、それに大映の俳優さんの特別出演のものと三本立てでスタートしました。

 

 次は神戸の関西劇場でも公演と忙しい月日が過ぎていきました。
 もっといろいろな踊りを、と次に振り付けに来られたのはOSKの山田道子さんで、ソロナンバー”エスパニアカーニー”スパニッシュダンスやハンガリアンダンス、”オモチャの兵隊”など十数曲を振り付けてもらいました。

 

 その頃から映画にも子役で出演するようになりました。 
 初めての映画出演は「春爛漫狸御殿」(大映映画)でした. 私の役は森の動物達の中のウサギで大きな縫ぐるみの中に入って顔は見えなくてガッカリ。 
 でも、同時期に撮影していた「二十一の指紋」の方にはちゃんと顔が出ました。

 

 大きなスクリーンに自分の顔が出てきて話す声を聞いたときには身体がムズムズして、恥ずかしいような変な気持ちでした。
 「にっぽんGメン」「毒牙」(東横)では、東京ロケーションで銀座の町をよく歩きました。

 

 「無頼漢長兵エ」という映画で村祭の祝いの踊りを兄と二人で踊ることになりました。ロシアンダンス風の難しいステップのダンスで、それを振り付けに来た先生が吉田タケオ氏でした。
 やっとタップダンスの先生に巡り会えたのです。あこがれのアステア氏と同じダップダンスができる!!!という喜びで、子供ながら次から次へと教わった事はすぐに覚えていきました。

 

 その2カ月後、福岡の柳橋劇場で、子供達6人で30分のショウを演りました。
 そのダンスの中に、二人でタップステップを入れて、舞台では初めてのタップを踏みました!!13歳と11歳の時のことです。

 

 この忙しい中でも映画はよくみました。柳橋劇場の隣は、松竹の封切り館で、タダでよく見せてもらいました。

 

 そこでは「東京キッド」(美空ひばりさん主演)など、いろいろ観ました。
 ひばりさんといえば、初めてお会いしたのは、京都の旅館でした。

 

 「のど自慢狂時代」の撮影の時にひばりさんが風邪をひいて、旅館で休んでおられました。その時に僕たちがお見舞いに行き、踊りを見せたらそのお礼にと、ひばりさんが唄ってくださったのです。
 後日、ひばりさんにお話したら、「よく覚えているわね」と笑っておられたのが今でも思い出されます。

 

 その後、米軍キャンプのショーで踊るようになり、芝居よりもタップダンスの仕事の方が忙しくなってきました。

 

 米軍の仕事は、オーディションを受けて、A クラス、Bクラスというようにライセンスを持たなければ仕事がもらえません。
 僕たちは子供なのにAクラスをもらい、出演料もかなりもらっていました。



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